明暗

社会不安障害と鬱病もち

出来損ないニートになるまで② 宅浪1年目

 前回は通信高校に編入し、アルバイトをしていく中で堕落した社会人を横目に、通信高校の勉強と受験勉強に専念する意思を固め、実家へ戻ったところまで話した。

 

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今回はこの続きから話そう。

 

実家に戻ってから母親と電話でコンタクトをとる機会があり、大学受験をするということを話したら、大学の費用を援助したいと言われた。

おそらく、父と離婚して1人の時間が増えてから、今まで子ども達にした自らの行いに対して罪の意識が芽生え、経済的援助という形で贖罪をしようとしているのかなと憶測を立てた。

 それに母親との過去の確執から数年経っていたし、経済的援助は素直に有難かったので、その提案を受け入れた。

とはいっても流石に年間100万以上はかかる予備校に通うだけの金銭的な余裕はなく、学校の勉強と並行して宅浪を始めた。

 

そして宅浪を始めたときなんかは、ネットで学歴の重要性や、学歴が無いとどういう末路になるのか、なんて思いっきり確証バイアスの効いた検索ばかりしては学歴コンプレックスを密かに膨らませていた。

当然、ネットの情報に踊らされて、早慶!マーチ!上智!などと学校の特色すら知らずに心の中で狂ったように唱え続けていた。今思うと、非常に恥ずかしい。

4発くらい殴っても誰も文句は言わないだろう。

 

そんなこんなで勉強も夏あたりまでは順調だった。

だが、初夏にあった某大手予備校の模試の結果が夏の終わりごろに帰ってきた時を境に確固たる意志が揺らぎ始めた。

なぜかというと 、模試の結果が記してある紙面に目を移すと、国語、日本史の偏差値はまあまあだったものの、英語の偏差値が極端に低かったのだ。

もともと英語には苦手意識があった。私立大学の入試も英語が最重視される。

 

これでは2月の有名大の受験に間に合う可能性は低いし、なによりその時点での自分の実力を突き付けられ現実に引き戻されたことで、モチベーションが削がれる感覚があった。

きっと自分の覚悟なんて紙切れ一枚の薄っぺらいものだったんだと思う。

そこからは、どの大学にいくかよりも何を学ぶかが大切なんだ!とアホみたいに自身に言い聞かせ、例の確証バイアスを発動させて、またも自分の都合のいいように解釈を重ねていった。

 

そうして、冬を迎え志望校選びに直面した時、地元の友達が進学した地方の某私立大学に進路を決定した。

この時はその大学の欠点に耳を傾けず、有力で役立つような情報だけを友達から仕入れて勝手に胸を高鳴らせていた。

 

しかし、受験日が近づくにつれて、やっぱり欠点も知った上で入学を決めたほうが良いよななどと思うようになり、例の友達にその大学の内情を語ってもらった。

その内情は驚くべきものばかりで、授業中はほとんどの人がスマホをいじってるだとか、ヤンキーが学内にいるだとか、他にもえげつないものばかりだった。

 とにかく自分が抱いていた理想像の大学生とは大きくかけ離れたものであったのは言うまでもない。

この話を聞いたとき、忘れかけていた「ちゃんと勉強をせずに目的意識もなく就職するとこういう大人になってしまうんだ」という言葉が脳裏を何度もよぎった。

 

結局、曖昧な覚悟のまま受験を迎え、一応合格はしたが、もう心の中ではその大学に行く気が消え失せていた。

でも、宅浪をする中で日常生活に関して親に世話になっていた分、「受かったけどやっぱり行かない」「実は友達の話を聞いたら気が変わってさあ~」なんて口が裂けても言えるはずがなく、不合格だったとだけ伝えた。

迫真の演技の甲斐があってか、親に深く追求されることもなく、なら仕方ないかという面持ちをしていたのでホッとした。

 

ホッとしたのも束の間、時期は既に2019年3月。

次の選択を迫られる最中、ふと思った。

実は1年間宅浪をする中でまた少し考え方が変わったのだ、今度はネームバリューだけに囚われずに本当に好きなことを学びに大学に行こう。(完全に学歴コンプレックスが抜けたわけではない)

そう決意し、経済的援助をしてくれるであろう母親に、もう一度大学受験をしたいから今度は予備校に行かせてくれと懇願した。

 

とはいっても、地元が田舎だったので通える範囲に予備校がなかった。

一番近くても最寄駅から片道2時間はかかる場所であった。

そうした事情を母親は考慮してくれて、2019年4月から関東の某予備校の近くに賃貸を借り、一人暮らしをすると同時に予備校に通うという新たな生活がスタートした。

 

だが、これまでの生活とは一変して、予備校や社会と触れ合う時間が増え、必然的に人間との接触が多くなった。

その中で自身の精神に異変が起こり始める。

 

次回はこの続きから。